神田の住み心地

千代田区神田に住むアラフォーリーマンの日記。神保町、秋葉原、日本橋、大丸有(大手町、丸の内、有楽町)の間という超都心に位置する神田界隈で過ごす日常生活や、暮らしやすさ、うんちくなどを語ります。 Twitter ID:kandazumi

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神田村、須田村、三崎村

こんにちは。

今日は神田界隈の地名について軽く小咄。

 

 

千代田区を歩いていて、町名由来板というモニュメントを目にされたことがあるのではないだろうか。

半纏をかたどっていて(追記 改めて観察してみたら、半纏型以外にも三角屋根とかいろいろあるね)、模様は実際に祭でその町会が着ているものをアレンジしてある。

 

これは須田町一丁目南町会のもの(須田町交差点東南角にある)。胸にあたるところに町名の由来などの説明文が書いてある。

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説明文の内容は、千代田区のサイトで公開されているのでそちらをどうぞ。

千代田区ホームページ - 町名由来板:町名から探す

 

江戸郷須田村

前はしょっちゅう通っているのだが、今日改めて説明文を読んでいたらこんな一文に改めて目が行った。

 

江戸の町の整備が本格的に始まったのは慶長(けいちょう)年間(1596年~1615年)に入ってからのことです。それまで、須田村と呼ばれていた神田川周辺も、農村から町人の町に生まれ変わりました。しかし、昔からの地名は残されたようで、明暦(めいれき)三年(1657年)の「新添江戸之図(しんてんえどのず)」には「すた町」と記されています。

 

前にも読んだことはあったはずなんだけど、その時は読み過ごしてしまった「須田村」という文字。

そう、神田地区は江戸開府以前は神田村、須田村、三崎村など幾つかの村に分かれていたのだ。

 

中世・近世までの地方行政単位は 国ー郡ー郷ー村 という具合に階層化されていたらしいのだけれど(ref. 郷 - Wikipedia)、江戸郷の下にも千代田村、神田村、祝田村などの村があった。

 

江戸郷に何村が含まれたのかなど私が知らない(忘れた)部分も多いのだけれど、とにかく江戸期の大手町〜内神田あたりの神田村、須田町あたりの須田村、三崎町あたりの三崎村は別の集落だった訳だ。

(さらに言うと須田は隅田に通じ、隅田川あたりまで須田村だったのだ、という話をどこかで読んだ記憶が…)

 

なお、中世までの江戸郷についてはこの本が特に詳しく紹介している、非常に面白い一冊。

江戸はこうして造られた―幻の百年を復原する (ちくま学芸文庫)

江戸はこうして造られた―幻の百年を復原する (ちくま学芸文庫)

 

 この本は確かに持ってるはずなのだが、いったい本棚のどこにしまいこんだやら。

 

神田地区の三つのお祭り

 

この前こんな記事を書いて、太田姫稲荷神社のお祭りは駿河台だけでやる、という話をした。

 

www.kandazumi.com

 

実は神田地区でもう一箇所、神田明神とは別にお祭りをするところがあって、それが三崎町を含む一帯なのだ。

 

千代田区ホームページ - 三崎稲荷神社で例大祭が行われました

 

これってつまり、中世まで別の村だったことを今でも伝えているのかなあ、と改めて思った次第。

 

もっとも、それじゃあなんで須田村と神田村が両方とも神田明神の氏子なんだ、とか、前嶋村(日本橋〜銀座あたり)はなんで山王神社の氏子と神田明神の氏子に分かれてるんだ、とか、ツッコミどころは満載なのだが。

この話、面白そうなのでもう少し調べてみよう。

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