こんにちは!
昨晩のNHK「クローズアップ現代」で不動産関係の興味深い特集があったので雑感など。
要約すれば、都心のマンション(主にタワマン)の価格高騰を受けた中の上クラスの所得層からなる「空中族」の投機的な動き、それを狙う地銀の動き、専業不動産個人投資家の動向、そして一般庶民クラス所得層による冒険という四つの物語を数字を交えつつ紹介する内容だった。
ここからは雑感。
本当にバブル再来?
NHKは(一部地域にせよ)バブル再来、という警鐘を鳴らすシナリオで番組を作ったんだろうな、というのはよく分かった。
しかし、日本の人口が減少する中で、東京という都市の規模が縮小していくのは当然であるところ、そんな中で都心(主に湾岸の紹介だったけど)に人口が集中していくのもまた必然なので、これはある程度は実需なのではないかと個人的には思う。
例えば過去の人口推移との比較で話をしてみよう。
1920年(大正9年)の日本(植民地を除く。以下同)の人口は約5,600万人、1930年(昭和5年)で約6,400万人、太平洋戦争直前の1940年(昭和15年)で約7,300万人。
統計局のエクセルデータからの加工が面倒だったので、豊島区の資料を参考にさせていただきました。
https://www.city.toshima.lg.jp/070/kuse/gaiyo/jinko/toke-02/h14-02/documents/13.pdf
一方、 社会保障・人口問題研究所の将来人口推計における出生低位推計が2060年時点でおよそ8,000万人なので、日本の人口が最悪の想定シナリオで減ったとしても、2060年時点で1935年時点の人口よりやや多いという状態であることになる(勿論人口の中身である年齢構成が大きく異なっているのは承知しているが、その話は別途)。
将来人口推計に関する詳しい解説はこちらからどうぞ。
Population Projection for Japan
以上を前提として、東京が大きく破壊される前、太平洋戦争開始前である1935年(昭和15年)の東京都(当時は府)の人口を見てみると、約730万人。日本の人口の約1割が住んでいたことになる。
さらに絞って旧35区(現在の23区に相当)だけを見ると同年時点で約590万人。東京都(府)の人口のおよそ8割が23区に住んでいたわけだ。
さらにさらに絞って、旧15区(現在の千代田、中央、港、新宿、文京、台東、隅田、江東区。おおむね江戸の街と重なる。)だけを見ると約225万人。これは当時の東京都(府)人口の約3割にあたる。
ちなみに、戦前には旧神田区だけで人口12-15万人。旧麹町区を合わせると18-21万人が現在の千代田区に住んでいたのだ。それが今ではたったの6万人弱。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0714ku_jinkou.pdf
振り返って現代。
2016年現在の東京都の人口は約1,342万人。日本の人口の約1割(少し切るが)という一極集中っぷりは相変わらず。
23区人口は約921万人。23区への集中度は69%まで下がり、多摩地区が伸びた。
さらにさらに絞って、旧15区に相当する地域だけの人口を弾いてみると、約195万人。これは現東京都人口のたった15%に過ぎない。人数としては1935年時点より30万人ほど少ない。多摩地区(および周辺各県)に人口が拡散することで、一極集中はここまで緩和されたということだ。
http://www.toukei.metro.tokyo.jp/juukiy/2016/jy16qf0001.pdf
ここからは私の推測。仮に出生低位推計に基づいて人口が1935年時点よりやや多い程度の8,000万人まで減った場合、冒頭にも述べたように、東京という都市の規模が縮小していくことは避けられないだろう。
ただ、そうなった場合でも(城西地区出身者である私自身としてもまことに残念なことながら)、縮小する対象になるのは多摩地区であって、23区ではないのではないか。
むしろ23区、なかでもオフィス供給が著しい都心3区(千代田、中央、港区)とその周辺地域(つまり旧15区)に人口は集まっていくのではないだろうか。
先ほども書いたように、旧15区は23区人口が約590万人しかいなかった時代と比べても人口がさらに30万人も少ないのだ、受け入れ余力はあるはず。
なら23区ならどこでもいいのか
クローズアップ現代を見ていて見ていて思わずのけぞっちゃったのが、投資用物件として葛飾区の駅徒歩20分のマンションを選んじゃったお父さんの話。
「話盛ってない?」と疑いつつも、もし本当だとしたらこれはまずいのではないかなあ、と勝手に心配になった次第。冒険すぎやしませんか。
私が神田が好きな理由の一つには間違いなくその利便性があるのだが、神田に限らず、人間が都心に住もうと思う大きな理由の一つには利便性があるんじゃないだろうか。
利便性関係ないんだったら、自然環境や広さを考えて郊外住みを選ぶ人は多いだろう(それでも都心を選ぶ人も勿論いるだろう、私はそれでもたぶん都心を選ぶけれど)。
そうなってくると葛飾区で駅徒歩20分、いかにも微妙だ。
葛飾区が悪いって言うんではなくて(利便性と広さ志向の折衷案ならありかもしれないし、駅からの利便性を見れば例えば新小岩などとっても便利だ)、むしろ駅徒歩20分という点。
私だったら、利便性求めるなら駅徒歩20分は選ばないし、駅徒歩20分を許容するなら広さや自然環境が保証されてないマンションは選ばない(パッと見た感じでは大通り沿いのファミリータイプマンション(ツイッター情報によればどうやらワンルームマンションらしい)っぽかったので、広くもないし環境も謎)。
近くに便利施設があるとか、バスの便がものすごくいいとか、買い物がすごく便利とか、そういう裏事情があって欲しいなあと思った。
全体を通して思うこと
メディアが追いついた時点でブームはもう終わっているというのはよく言われる話なので、おそらく表題の「空中族」的な動きはそろそろ終息だろう。タワマン節税も監視が厳しくなってきたし。
ただ、ブームとは無関係に湾岸を中心にマンション供給は続いているし、神田界隈でも旧千桜小学校敷地の千桜タワーを筆頭に、須田町、司町、錦町とマンションの建設がめじろ押し。さらに今後神田警察署、電機大跡と神田警察通りの一体開発もある。その流れで都心、そして神田界隈はこれまでよりずっと「住む街」化していくことになるのではと思っている(神田界隈のマンション供給についてはそのうち書く予定)。
住める場所があれば住む人はいるはずの都心、回帰は一時的なブームに終わらないと信じたい。