こんにちは!
前回は丸の内線銀座駅までたどり着いたところでタイムアップしたので、今回は残った丸の内線銀座駅(数寄屋橋)から東銀座駅(万年橋)までの部分を歩く。
前回までのあらすじ
前編では神田橋北詰から歩いて丸の内線東京駅までやって来た。
そして中編では丸の内線東京駅から丸の内線銀座駅まで。
(スタート)経団連ビル(C2b番出入口)⇨行幸通り地下通路⇨東京駅地下改札脇(ここまで前編)
(ここから中編)⇨外堀通地下通路⇨東京駅京葉線改札⇨東京国際フォーラム⇨有楽町線地下通路⇨東京交通会館⇨有楽町駅前地下広場⇨有楽町イトシア⇨丸ノ内線銀座駅(ここまで中編)
(ここから後編)⇨晴海通り地下通路(西側)⇨銀座線銀座駅⇨晴海通り地下通路(東側)⇨歌舞伎座⇨万年橋(6番出入口)(ゴール)
数寄屋橋から銀座四丁目交差点(銀座線銀座駅)まで
今回は前回とは逆で午後休になったので、半ドンで会社を抜け出して銀座までふらふらやって来た。
午後が休みだと思うと何もかも輝いて見える。
昼休み時間の丸の内仲通り。キラキラ
キラキラ歩きながら、前回の終点だった数寄屋橋交差点に到着。
今回は晴れているので同じ場所が輝いて見える。キラキラ
右手には鳴り物入りで登場した銀座の新名物ビル、東急プラザ銀座。左手には昭和以来の銀座の名物ビルであるソニービル。
新名物
昭和以来の名物
こんな良い天気の日は地上を歩きたいところだが、 それでは企画が成立しないので、仕方がなく地下に潜る。
同所地下
まあ殺風景ですわな
丸の内線銀座駅数寄屋橋側改札から、改札に向かって左手方向に進んで行く。
キオスク風のアロマショップ(写真右)から漂ってくるアロマオイルのいい香りに包まれながら階段を下りていく。
階段を下りきった地点。これをまっすぐ進む
今回改めて地下道を歩いてみて感じたのだけれど、これまで歩いてきた大丸有(大手町、丸の内、有楽町)サイドも含め、地下道内の段差がかなり多い。以前祖母が神田の家まで地下鉄を使って遊びに来た際、えらく不便な思いをしたことをふと思い出した。
バリアフリーという考え方が日本に入ってくる前の構造物なので仕方がないのだろうが、例えば私が車椅子や松葉杖を利用して移動していたり、或いは視覚障碍を抱えていたとしたら、こうして地下道を歩いて銀座まで来ることはできないだろうと思う。
これを書きながら改めて記憶を辿ってみると、仮に私が通った経路を利用するならば避けがたい階段が12箇所、エスカレーターが2箇所あったように思う。
もちろんより階段の少ない経路もあるとは思うし、また東京地下鉄をはじめとする関係者各位の努力のもと日々改善はされているのだろうが、それでも完全バリアフリーには至っていない。
関係者のこれまでの営為に敬意を表すると共に、さらなる努力に期待したい。
…なんてことをを考えながらふと右手方向を見ると、いきなり地下道のデザインが変わっている部分が。
こんな。いきなり豪華版
はい、これが先ほどご紹介した東急プラザ銀座の地下エントランス付近。
これも如何なものかと改めて思ったところなのだけれども、運営主体が違うからといって通路ごとの個性がありすぎ、デザインの統一感がなさすぎ。
運営主体が同一だとそれなりに考えながらやっておられるようで、例えば一つ上の写真の天井部分のモチーフは有楽町線有楽町駅の地下道と似ていたりするのだが(凹凸により陰影が出るデザイン)、それですらよく見ると少し違う。また床のタイルは全く違う(銀座のタイルは東京駅や有楽町駅のタイルの四分の一しかなく、銀座は黒や肌色のタイルで規則的な模様を描いている)。
比較写真の例示をしようかと一瞬思ったのですが、面倒臭いただでさえ多い写真がますます多くなっちゃうので今回はやめておこう。
豪華通路はすぐに終わってしまうし、また場所が少しずれるともとの装飾に。
地上で見るビルとその地下出入口のイメージに差があったりなかったりして楽しい。
エルメス。意外と質素。
アルマーニ。地上と同じく自己主張が強いデザイン。
和光。上も下も上品である。
なんて感じで進んで行くと日比谷線銀座駅を経由して銀座線銀座駅(銀座四丁目交差点)に至る。
天井がいつの間にか凹凸なしの樹脂板貼りになった。
銀座線銀座駅
銀座線銀座駅は交差点をちょうど南北に横切るように設置されているので、数寄屋橋側から来るときに南(和光がない側)を歩いてこないと北にぐるり大回りすることになる。どうでもいい豆知識。
銀座三越。これまた上も下も上品なエントランス。
「今日は帝劇、明日は三越」という大正時代の広告のキャッチフレーズをふと思い出した。まあその頃はまだ 地下鉄なかったけれど(広告が1923年、銀座線開通は1927年らしい)。
銀座四丁目交差点から三原橋交差点
銀座三越の横に、さらに東に続いていく 地下通路がある。
東に続く地下通路
ここからまた通路のデザインが変わる。
ここの区間が面白いのは、通路中央に十二支の石像が飾ってあるところ。
この石像、下記サイトによれば銀座のいろいろなところにあるらしい。
多すぎるので一枚だけ。見ての通りうさぎ
なぜ設置されたのかという経緯については、ネットで調べても見つからなかった。
興味あるなあ。
しばらくすると純粋階段。
これは先日惜しまれつつ廃止された三原橋の地下商店街(三原橋地下街 - Wikipedia)の直下にあたり天井が下がっているため。
純粋階段。
地下商店街になる前はここに掘割があり、銀座と東銀座(地名が分かれていた)の境になっていた。
純粋階段を超えると、また駅の気配。
この写真の時点で時刻は13時21分。お腹すいてきたよ。
脱線。東銀座のムルギランチ
東銀座でランチと言ったら私には一択。
まずは地上に上がる。
東銀座駅
目の前には三原橋交差点
昭和通りは震災復興事業の一環で作られた道路なので、道幅が他の大通りと比べても格段に広い。
この交差点を左折して20秒。
東銀座にきたらここ
店に入ると、いつもながら派手派手シャツのナイルさんの案内で席に着き、そして店員さんの「ムルギランチでいいですか」という強制オーダー(常にこう言われるので未だに他のメニューを頼めないでいる。美味いから良いんだけど)。
来た。
ムルギランチ(骨つきチキンカレー)。
じぇんめんてきにまじぇてたべてくだしゃい、と言われるので素直に全面的に混ぜて食べましょう。美味いです。
食べながら壁に飾ってある香辛料を眺めていたら、面白そうな本の紹介が貼ってあった。
買って読んでみたら非常に楽しかったので皆さんもぜひぜひ。

銀座ナイルレストラン物語 日本で最も古く、最も成功したインド料理店 (P-Vine Books)
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三原橋交差点から万年橋(ゴール)
お腹いっぱいになったところで、再び地下に。
そこにゴール見えてるので地上を行ったほうがはるかに早いのだが…
都営浅草線東銀座駅
線路は地下通路を阻むように南北に敷設してあるので、地下通路だけで行こうと思ったら、ここで線路を迂回するためにさらに一階層潜らなければいけない。
なので歌舞伎座に行く際は、雨の日でもよほどひどい振りで無ければこの通路は使わずに、先ほど私がナイルレストランに行くときに上がった出入口で上がって地上を歩いた方が楽。特に足腰に自信がない方や身体的ハンディのある方は避けた方が良いだろう。
ここから階段を降りる。
陰気な階段。歌舞伎座最寄りなのだからもう少しどうにかならないものか。
壁は白タイル。床も白タイル。天井も白系色の樹脂板という配色が心なしか寒々しい。
歌舞伎座方面の標識が紙貼りなのが涙を誘う。
ある意味日本の顔、かつ恒久施設なんだからせめてプラ看板でも用意しても良いのではと思うのだが。
歌舞伎座側の改札
ここまで来れば歌舞伎座は目の前。
道なりに歩くと左手に地下出入口が見える。
歌舞伎座は建て直されてから地下に商業施設なども入り、だいぶ賑やかになった。
低層階にかつての建築意匠を残す、いわゆる「腰巻きビル」にはいろいろ批判もあるようだが(建築美という意味では私もそう思う)、純粋に娯楽施設として見れば良い方向に生まれ変わったと思う。
なお、腰巻きビルについてはこちらのブログが詳しい。
歌舞伎座地下、一回行ってみてください。
さて、歌舞伎座をさらに通り過ぎて、大手町から地下道ネットワークをつたって歩ける最も遠い地点を目指そう。
歌舞伎座の先にさらに伸びる地下道。人通り少なめ。
6番出入口は改札のすぐ脇にある。
案内図
ここがこの長大な地下道ネットワークのどん詰まり。
目の前の万年橋、今は首都高が通されているが、戦前はやはり築地川だった処。首都高用地として埋め立てられこの形に。
万年橋交差点。この先に築地がある。
万年橋交差点から南を望む。
新橋演舞場が見える。
東銀座駅6番出入口。
地下道ネットワークの旅の終着点。
すぐそこに歌舞伎座の屋根が見える。
慰労と感想
誰に頼まれた訳でもなく勝手にウロウロしただけなので、誰から何に対しての慰労なのかがそもそもよくわからないのだが、何にもないのも締まらないので、来てみた。
魅惑の小岩井牧場ソフトクリーム
美味い。
ソフトクリームを齧りながらつらつら考えていたのが、バリアフリー対応など課題はいろいろありつつ、やはり地下道ネットワーク、そして地下道直結のオフィスビル・商業施設というのは非常に便利だということ。
とても数える気にはならないが、大丸有・八重洲・銀座の地下道ネットワークには数十のビルが繋がっていて、それらは全て天候の如何にかかわらず直接出入りができる。
地上の街のにぎわいは勿論大事なのだが、それ以外に地下からもアクセスできるというバックアップがあることで、街は全天候対応で機能できる。それは街の集積・一体化を促すものだ。
都市は機能の集積が肝だと考えると、日本最大の地下道ネットワーク(らしい)があるこの地域は、すなわち 日本最大の都市でもあるのかもしれない。
なお、大丸有・銀座の地下道ネットワークについては、すでにいくつか記事があるので ご紹介しておこう。
もうすぐ梅雨、皆さんもおひまなら是非雨に濡れないお散歩をどうぞ。
http://www.otemachi-marunouchi-yurakucho.jp/on/pdf/vol015.pdf
おまけ
今回、企画の性質上、こっそりと写真を撮ることか多かったのだけれど、別に悪いことをしているわけでもないのにとても後ろ暗い気分になった。
痴漢や盗撮犯の気分を少しだけ垣間見たような気が…