こんにちは!
またまた久しぶりの更新になってしまった。
さて、東京都知事選挙が終わりましたね。
普段はあまり政治の話はしないのだけれど、今日は少しだけ選挙の話。
選挙の公約について
詳細な勝因、敗因の分析は他の方が散々しているので割愛する。誰に投票したにせよ、一旦小池氏が選ばれた限りは、彼女に期待するだけである。
彼女の選挙公報を改めて見てみると、ふわっとしたことしか書いていない(彼女に限らず、まあ選挙公報などというものはたいがいふわっとしたことしか書いていないのだが)、そんな中でもおもしろいなあと思ったのが泡沫候補(失礼)ないとうひさお氏の公約である「東京の人口を現在1/2にする」というもの。
ちなみに、同候補を含む全候補者の公約の(論理的な意味での)実現可能性について淡々とまとめておられる下記ブログがえらい面白かった。ぜひご覧あれ。
こちらのブログによれば、ないとう氏の公約の実現可能性は以下のとおりである。
ないとうひさお
この立候補者の公約は、すべて実現可能である。
アメリカ合衆国のような自己責任について書いているが、それを実現するには修正第2条にある、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。」のような、武装する権利を都民に認めるべきであるが、そのような言及はしていない。
また、「東京の人口を現在1/2にする」とも書いている。これは虐殺によって人口を減らすのではなく、地方に人を工場や企業を移転させることで実現するという。大躍進政策や文化大革命のような強制的な徴用と動員が必要であるが、もちろん実現可能だ。
なんで面白いと思ったのかというと、この前鹿児島に旅行に行ったとき、たまたまあるお店で話をした白髪のおじさま(昭和の学生運動っぽい雰囲気を漂わせた方でしたが)が、「あ、君は東京から来たんですか・・・僕は(都民じゃないから)傍観してるだけだけど、でも都知事選挙で一人も東京の人口を減らすという公約を出してる人いないよね。大災害が来たらどうするつもりなんでしょうね」と(皮肉っぽく)宣ったのが印象に残っていたから。
東京の人口は多すぎるのか?
東京というのはある意味日本国全体にとっての金儲けの装置みたいなもので、ここの機能を分散させすぎると装置の機能不全から間違いなく亡国に至るであろうと思う。なので私はないとう氏の主張には首肯できないのだけれど、鹿児島で会った学生運動崩れっぽいおじさまの言うこと(大災害への備え)も一理あるなあと思った次第。
人口の話や災害の話はこれまた過去にこのブログでさんざんしたので割愛。
地震のはなし
水害のはなし
人口推移のはなし
過去記事で触れてきた内容を踏まえて改めて思うに、東京都心及び各地方の都市部(政令指定都市を筆頭とした地方の中心都市)はしばらく栄える、栄えねば国が持たないと私は思っているし、それ故に東京の人口は決して多すぎないし、むしろある程度の規模を保たねばならないと考える。以下理由。
高齢化対応としての都市居住
私見だが、少子高齢化改善のラストチャンスは団塊ジュニア世代が子供を(国が期待したほどには)産まなかった時点ですでに過ぎてしまった。終電に乗り遅れたこの国に残された未来は残念ながら一部の都市部への集中、そして残りの地域の緩慢な衰退以外にない(大規模移民受け入れ、という深夜料金タクシーに乗る手がまだ残っているけど、住民感情的に無理であろう)。
では、なぜ一部の都市部に人口が集中するのか?
思うに、一つには年配者には田舎暮らしが物理的にきついから。そして二つ目に地方、都心を問わず年配者が生きるのに必要な地縁がどんどん弱まっているから。
物理的にきつい、とはどういうことか、例えば買い物や病院を考えるとわかりやすい。
買い物一つ取っても、都市ならば公共交通(もしくは徒歩か自転車)で済むところ、地方では車が必須になる(会社員なりたての時にど田舎に住んでいたので分かるつもり、車がないと死ぬ)。
病院も隣の市まで行かなければならないのと、徒歩圏に複数あるのでは雲泥の差だ(勿論複数あっても利用者人口も多いので選び放題、ということにはならないけれど)。
要するに都市暮らしはあまり体力がいらないのだ。
「今は地方にたくさんお年寄りがいて元気に生活しているではないか」と言われるかもしけれないが、あれは地方行政サービス(金がかかる)の支えと、なによりもその方がこれまで培ってこられた地縁を生かしているのであって、地方自治体に行政サービスを行う資力がなくなり、また地縁のないお年寄りが増えていけばどこかで限界が来る(と思う)。
行政サービス。資力については、どこも財政が厳しいなかで行政が高齢者福祉をどこまで支えられるかは甚だ疑問だ。どこかで反動が来る。その時、サービスの低下をどこまで甘受できるだろうか。少ない予算で効率的に高齢者福祉を支えようと思ったら、人口密度はある程度高いほうがいいのだ。
また地縁についてだが、例えば私自身を例にとると、私は親世代と比べて親戚づきあいも少ないし、(少なくとも神田に来るまでは)隣近所の人間関係も一貫して希薄だった。
或いは私だけがそうでみなさんは緊密な地縁関係を持っておられるのかもしれないが、私はそうは考えない。人間関係の希薄さは私だけではなく、世代全体の傾向ではないかと考えるがどうだろうか。向こう三軒両隣で互助しあえない状況でなお、お年寄りは元気に暮らしていけるだろうか。
「東京市」の人口はむしろ昔よりも少ない
過去からの都心の人口推移については上でもリンクを貼った昔の記事(追跡!タワマン「空中族」~不動産“バブル”の実態に迫る~ 雑感 - 神田の住み心地)から抜き書きする。
1935年の東京市旧十五区の人口は以下の通り。
旧15区(現在の千代田、中央、港、新宿、文京、台東、隅田、江東区。おおむね江戸の街と重なる。)だけを見ると約225万人。これは当時の東京都(府)人口の約3割にあたる。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0714ku_jinkou.pdf
2016年の同地域の人口は以下の通り。
さらにさらに絞って、旧15区に相当する地域だけの人口を弾いてみると、約195万人。これは現東京都人口のたった15%に過ぎない。人数としては1935年時点より30万人ほど少ない。
http://www.toukei.metro.tokyo.jp/juukiy/2016/jy16qf0001.pdf
まず、東京圏の郊外人口は今後緩やかに減少していくという調査結果があるので人口は減らそうとせずとも減少傾向になる。
例えばこちらのツイートなどは参考になる。
今日発表された公示地価の増加率と、2050年への人口増加率を並べてみると、、
— 都心湾岸丸 (@tokyo_jcs) March 22, 2016
①人気があって未来もある
②人気があるが未来はない
③人気はないが未来がある
④(略)
エリアが見えてきますね pic.twitter.com/hTiedlNdEv
一方で都心(旧十五区)はというと、今でもピーク時より少ないのだ。郊外の人口減少と同時に都心一極集中が進んだとしても、30万人(およそ新宿区や目黒区ひとつ分)まではかつての東京市の人口規模への復帰に過ぎない。なおかつ木密にびっしり住んでいたかつてに比べ、耐震性が向上しているので、30万人程度であれば安全に収容できるのではないだろうか。
田舎暮らしも良いけれど
緑に溢れ、空が広く、空気がうまく、食べ物が安くて美味い。
たまに田舎に旅行に行くと、いいなあと思ったりする訳だが、上で書いたような、旅行者には見えない部分のコストを考えると、私はなかなか老後を田舎で過ごそうとは思えないのである。ありえて県庁所在地など地方の中核都市だろうか。
「まだ東京で消耗してるの」などと煽られつつ、でも私はやっぱり都市に住みつづける。