神田の住み心地

千代田区神田に住むアラフォーリーマンの日記。神保町、秋葉原、日本橋、大丸有(大手町、丸の内、有楽町)の間という超都心に位置する神田界隈で過ごす日常生活や、暮らしやすさ、うんちくなどを語ります。 Twitter ID:kandazumi

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『東京人 神田East散歩』 読後感想

 こんにちは!

 いやしくも「神田住み」と名乗ってブログを書いている以上、勿論これを買わない訳にはいかない『東京人 神田East散歩』。早速買って早速読了 
 内容は神田の歴史を中心に非常に面白かったので、是非とも買ってみて頂きたい。
 記事ごとの感想をうだうだ書いていくのも詰まらないので、今回は全体の感想とこの雑誌の着眼点、視座について思ったことをそぞろに書き散らし。
 今日はいつもに増しての雑感、オチはないです。しかもテンションが微妙におかしい。乱文お許しあれ。
 

 

東京人 2016年 10 月号 [雑誌]

東京人 2016年 10 月号 [雑誌]

 
10月号 October 2016 No.376
特集
神田EAST散歩 江戸から続く町人地
芝で生まれて神田育ち――といわれるように、江戸っ子を代表する神田っ子。
神田駅を中心とする旧神田区の東側エリアは、
江戸時代、幕府のお膝元として魚河岸や青物市場が開かれ、
江戸屈指の職人の町として栄えました。
そして今、再開発が進む中にも、町人地の町割を引き継いだ路地には、
昭和の風情が残っています。
そんな神田の歴史と歩き方を紹介します。

東京人のホームページ より

 

「神田East」民の僻み節

  しょっぱなから誠に恐縮なのだが、まずは僻みから。

 雑誌のタイトルを見たときに思ったこと。歴史的にも(本誌によれば、やはり神田駅北側の中央通り沿いあたりが神田という地名の発祥らしい)、行政的にも(旧神田区役所はいま再開発中の神田錦町、旧神田警察署あたりにあった)、鉄道的にも(神田駅がある)、「神田」の中心はむしろ今回取り上げられた「神田East」の方なんだから、タイトルはむしろ「神田Central」じゃないのかと。

 それでも「神田East」と言われちゃうのは、地理的なことだけではなく、それだけ「神田West」(神保町・駿河台)が魅力ある地域だからなのだろう。世界一の古書店街神保町、そして日本有数の学生街駿河台、書くネタは尽きない。注目度だけで見たらむしろ『Central』はあっちかもしれない。例えば『東京人』も旧神田区東部を単体で取り上げるのは初めてだったはず。神保町はこれまでに複数回取り上げてきたのに、だ。

 また、出版業界において神保町界隈を指して「神田村」なんて言い方がある位に、発信側の出版業界と神保町界隈の縁は浅からぬものがある。『東京人』版元の都市出版さんも神保町からほど近い飯田橋が本社だし。出版人にとって「神田West」はよく見知ってるから書きやすいんだろうな、きっと。

 で、何が言いたいのかというと「今後はもっと神田Eastを構ってあげてくださいよろしくお願いします」ということ。ホントによろしくお願いしますね、あと今回は取り上げてくださってありがとうございました。

(ちなみに私は神保町も駿河台も大好きなので以上妄言お許しください)
 
「神田East」のステレオタイプなイメージについて
 正気に戻って(?)閑話休題
 上で紹介したような「神田West」は「出版文化」「日本のカルチェラタン」というステレオタイプなイメージを持っている。アキバといえば萌え、神保町といえば古書店街と出版社、駿河台といえば大学だ。
 それでは「神田East」のステレオタイプなイメージは何かというと、同雑誌を読むとよくわかる気がするのである。すなわち「歴史」だ(今回は何故か「飲み屋」系の記事が殆ど入らなかった。散歩がテーマだったからだと思う)。
 今回の内容は、老舗企業の特集あり、神田ゆかりの文化人あり、明治以来の鉄道建設史ありと様々ではあったが、ものすごーく乱暴に要約してしまえば「神田East」がいかに豊かな歴史を持っているか、という話のオンパレードだった。
 確かに、例えば徳川時代以降の江戸で一番古い町は三河町、鎌倉町、多町の三町らしいのだが(同誌27頁)、神田多町なんてまだ町として現役だからねえ。京都奈良には敵わないが、それでも400年以上の歴史だ。
 ちなみに、神田多町以外の二ヵ町は住居表示の波間に消えた。
 
前に書いた住居表示の話

www.kandazumi.com

 

鎌倉町についてはこんなブログを拝見、奇特な方がいるものである。面白かった。

michikusa-ac.jp

 

 生まれたり住んだりで神田と縁がある文化人にしても、新井白石斎藤月岑曲亭馬琴大田南畝山田美妙とビックネーム揃い踏みである。あと、これは雑誌中には書いてなかったけど、陸羯南主筆のもと、正岡子規が活躍した新聞「日本」の社屋はいまの小川町交差点あたりだ。北大路魯山人(最近は美味しんぼ海原雄山のモデルになった人と言ったほうが分かりやすいか)や、与謝野晶子与謝野鉄幹夫妻などもいまのワテラスの裏あたりに店を構え、或いは住んでいた。

 
 でも、この人たちみんな「歴史」なんだよね。どなたも鬼籍に入って久しい。
「神田East」が「過去を生きる街」として定義されている、というのは言い過ぎだろうか。マイルドに言えば「過去を活かす街」かな?
 むしろ、是が非でも(例えば書中紹介された老舗企業のように)「過去を活か」していかねばならないのだけれど。
 
ちなみに神田を取り上げたもう一冊の必読書(オススメ)はこちらなのだが
神田万世橋まち図鑑

神田万世橋まち図鑑

 

 これまた歴史紹介が長く、また紹介の視座設定が似ている(ただしマーチエキュート紹介の企画本として出版された経緯もあってより鉄分が多め)。紹介するに足るほどに歴史が豊富、ということでもあるのだろうけれど。

 やはり良くも悪くも「神田East」は歴史と不可分なようだ。

アートとリノベーション
 雑誌の記事のタイトル(84頁)をそのまま借りてしまったのだが、神田が「過去を活かす街」たるための試みの一つが、この記事で紹介された
 
といったリノベーションPJだ。
 但し、アート分野はそこそこリノベーションによる活用が進むが、商業施設は(マーチエキュートを例外として)なかなか活用が進んでいない印象を住んでいて受ける。私がこの記事のしょっぱなからどことなく不満げな筆致なのは(不満げな筆致なのです)要はここが引っかかっているのだ。神田の歴史やそこここに残る風情ある建物はむしろマニアックなまでに好きなのだが、遺産を活かしきれていない(と思える)現状が歯がゆい。
 
例えばこんな店や

tabelog.com

 
こんな店や
 
或いはこんな店が
 
ちらほらある(全て再建築不可と思しき古い建物のリノベーション)ものの、リノベーション可能(に見える)看板建築や空き家はまだまだたくさんある。耐震性の問題などもあろうが、空き家のリノベーションでどんどん新しいことを仕掛けていって欲しいなあ、と思うのは私が利害関係もなく過去の経緯とも関係がない所謂「新住民」だからなんだろうか。
 
変わって欲しいけど変わって欲しくない
    ここから先はもはや自分でも何を言っているのやらよく分からないのだが、私は千代田区神田界隈にある程度の規模感のある再開発を経ることで大丸有の後背地としての地の利を生かした成熟した商業・住宅街に変化していって欲しいと思う一方で、同時に裏路地にちらほらとしもた屋や看板建築が残る歴史豊かで風情ある街並みにも残って欲しい、と思っている。看板建築のリノベーションにも限度があるし、また再開発は古い街区の地上げを経て行うことになるから、二つはおよそ両立しえないのに。
    例えばワテラス。あの再開発によって、風情ある古い建物がいくつも消えた。でもワテラスが出来たことで、神田界隈は活気付き、生活利便性も格段に向上した。
 
神田須田町一丁目界隈。右に残る看板建築あり、左に取り壊される看板建築あり(三井不の大きなマンションが建つ予定)

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おそらく数十年ぶりに大通りからの陽を浴びたであろう、千代田区外神田(要はアキバ)の花房稲荷神社。しかし手前の空き地にはすぐにビルが建ち、また社殿脇のしもた屋風の民家は程なく取り壊された

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    街づくりの解は一体どこにあるのだろうか、そもそも存在するのだろうか。

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