こんにちは!
先週末はとても忙しく過ごした。
今日はそんな忙しい週末を振り返っての雑談。神田成分低め。
(註 ネットワークと言っても鍋やら浄水器の話でもオーディオの話でもなく、ツイッターやらフェイスブック絡みのイベントの話)
午前の部「かいまみ」
土曜は朝から六本木で、
というイベントに参加させて頂き、普通に生活をしていたら絶対にお目にかからないような方から、絶対に聞けないような話を聞く、という貴重な時間を過ごした。
詳細は公式を見て頂ければ分かると思うのでそちらに譲らせて頂くが、要は初対面ゆえに見ず知らず、自分と全然関係ない人から、全然関係ない日常世界(仕事の内容とか楽器の話とか)を紹介してもらうという、至極単純明快な(褒めてる)企画。
主催の方のブログは(街づくり繋がりで)いつも拝見していてそこから興味を持ったのだけれど、
なんと小生の如き逸民に過分のお言葉を戴いており、恐縮の至り。
SNSをはじめとしたネットワークツールというのは全く接点の無い他者を結びつける、かつてのサロンやコーヒーハウス(ヨーロッパ)、茶館(中国)、近くでは新聞や雑誌の投稿欄を果てしなく拡張したような機能を持っているから、不特定多数に働きかけて「かいまみ」さんのような面白い仕掛けが出来る。
ネットワーク上の関係はゆるい、疎なものだが、その気になれば(まさに「かいまみ」さんのように)疎なものから密(しかし密過ぎない)な人間関係へと移行する事も出来る(いろんな場面でそれが求められているが故に、疎から密に転じる為の能力たる「コミュ力」なるキーワードが人口に膾炙するのではあろう)。しかし一方でネットワーク上では人間関係の疎密をある程度自由に操れるから、極端な話、あるクラスタの人達と絡むのが嫌になったら相手をブロックしたり、果てはアカウント捨てて消えちゃったって構わないわけだ(まあそんなの嫌だけどね)。ご近所付き合いだと中々こうは行かない。
ネットワークの可能性を感じさせる午前中のひと時。
午後の部「簸川(ひかわ)神社宵宮」
偶然とは言えこういう予定になっちゃった(って組んだのは自分なんだけどさ)事が非常に可笑しいのだが、午後は「かいまみ」さんとはある意味方向が正反対の用事であるお祭りのお手伝いでそのままばたばたと文京区小石川に直行。
今年は神田祭は陰祭だし祭りの季節である五月はとっくに過ぎてるし、そもそも何で神田明神さんじゃなくて小石川の簸川神社さんが出てくるんだ、という話になっちゃうといけないのでここで軽くご説明。
千代田区神田界隈に住んで地縁に身を投じてみてはじめて判ったのだが、東京の祭り(特に人口が少ない都心部の祭りや全国区で名の売れた大規模な祭り)というのはもはや氏子町のメンバーだけでは祭りの維持ができないため、お互いに人脈で深く繋がって助け合いをする事で運営をしている(もしかしたら江戸の昔からそうなのかも知れないけれど残念ながら知識不足、間違ってたらご指摘願いたい)。
例えば、A神社の氏子町であるX町会だけでは祭事運営(特に肉体労働である神輿巡行)ができないため、ご縁のある(その町内に親戚がいるだとかまあ色々)B神社のY町会さんやら、Z神輿会(神輿担ぐのが大好きな人の集まり)やらに声を掛け、X神社の祭事運営を手伝って頂く。その代わり、X町会のメンバーは自分の祭りのときはY町会さんのお手伝いをしたり、Z神輿会さんに混ぜて頂いたりしてご恩返しをする。
なので町会に長くいるメンバーは、自町会と全くご縁のない神社の氏子町である、とんでもなく遠くにある町会のメンバーと顔見知りだったりするのである。
この記事などが良い参考になる
suumo.jp
今回もまた例によって例の如く、神輿担ぐより酒呑んでる時間の方が多かった気もするのだけれど(いやいや翌日肩が痛くなる程度にはちゃんと担がせて頂きましたよ)、そんな酒席の端々で聞こえてくるのは「○○町会さんにはいつもお世話になってますから」「△△町会さんは△△さんで明日は別の義理もお有りでしょうから(だから明日の祭りの手伝いは不要ですよ無理しないで下さい、の意)」などというセリフ。地縁と義理と人情とで出来上がっている、ある意味究極の村社会(中立的な意味で)を感じる。
尤も、私は新参者なので勿論ご一緒した先輩方以外には他町会に知り合いは居ないのだけどね。
「旧江戸に属する都心部」の特殊さ
落語の三題話宜しくここで無理やり神田の話題に引きずり込むのだけれど、今週の土曜日は対極的な二つのイベントの対比を通じて、自分にとって非常に学びが多い一日だった。
前に書いた記事でこんなことを書いた。
第5章のキーワード「他人の近くにいること」
…日米のIT系企業の職住近接傾向を紹介しつつ、…「実際に人と人が対面して会う時間とは、「電子的なコミュニケーション時間を補うものだから」」(エドワード・グレイザー)…という二点から人が都市に住む理由を説明する…この部分の論考は面白かった。
ITと対面の相互補完が都市を支えている、という発想はなかった。特に神田のような地縁が濃いと同時に、かつチェーン店も多く匿名性が担保され、ITでゆるく繋がっている都心という社会にいると、この論理で腑に落ちる部分が多かった。
ここで強調したいキーワードは前回同様「地縁」と「匿名性・ゆるい繋がり」だ。
一言で都心部といっても
(1)江戸からの長い都市の歴史を誇る神田、日本橋、新橋、麹町、下谷、浅草、深川など(おおむね「(都市としての)江戸に属する地域」)
(2)そもそもは近郊農村から始まった池袋、新宿、渋谷、麻布、小石川、向島、町屋など(おおむね「江戸期の関東郡代支配地」)
(3)もともと人より浅利や鰯の方が多く住んでいたような晴海、豊洲、芝浦、台場など(おおむね工業地由来の埋立地)
大雑把に分けただけでもその成り立ちは様々だ。
私は神田界隈だけを持ち上げて他を一切否定するものではないけれど、個人的に(1)のとりわけ神田界隈を愛する所以は、「かいまみ」さんのようなゆるくて匿名性の高いネットワーク(とその具現化としてのイベント)へのアクセスの容易さと、お祭りをはじめとした地縁に支えられた極めて属人的なネットワークへの帰属が、適度に混ざり合っているから。(2)は(1)とほぼ同じ状況、(3)は地縁の構築が課題だ。ゼロベースの構築は楽しそうでもあるけれど、大変だよなあ。
こういう地縁と匿名性の汽水域みたいな状況が面白いから、私はまだまだ東京で消耗しちゃうのである。
まとまりもつかずオチもないが、今日はこの辺で、おそまつ。